今年の梅雨以上に梅雨らしい空気のなかに、一抹の夏の気配が混ざる日が出てきた。暑くなればなるほど、年々さっぱりとした食べ物に手が伸びるようになってきて、その筆頭格にいるのが私の場合、冷や奴。白葱を刻んで鰹節、どちらもたっぷり乗せる。ミョウガもいい。どちらかというと薬味を食べるために豆腐が存在しているというくらい、これでもかとたくさん乗せる。わしわしと薬味のかたまりを咀嚼しているとやがてそれにも飽きて、そこに紫蘇を加えたくなった。
スーパーで売っている紫蘇はたいてい10枚くらいをひと束に売られている。10枚は多い。全部消費する前にだめにしてしまうのではないかと懸念がよぎる。ちょっとでいいんだけどな、ちょっとで、と思うとついスルーして縁遠くなってしまう。
そんな折、実家の隣の佐藤さんのところで紫蘇が大量に自生していたのを思い出し、プランターに種を蒔けば芽が出てくるのではあるまいか、と思い至った。自家栽培なら「ちょっと」が実現できる。そう思って種を買ってきて、いそいそと種蒔きしたのが昨年のことだった。
ところが、水遣りが上手くできず、枯らしてしまった。言い訳がてら付け加えておくと、昨年は日差しが鋭く、やはり紫蘇を枯らしたという知人の嘆きを、一応耳にしてはいた。馴れないことをしたからかな、とひとしきり肩を落とした後は、すっかり紫蘇のことは忘れていた。
時は流れて約1年、面接室の外を眺めていた同僚から「これ、紫蘇だよね」と指摘を受ける(そう、自宅ではなくオフィスのベランダでの出来事なのである)。なんということだろう、紫蘇は人知れず復活していた。今年の雨量も幸いしたのかもしれない。
というわけで、念願叶い、豆腐にぱらっと細く刻んだ紫蘇を乗せる。やはり薬味ばかりを頬張っていると、人間が何をせずとも生まれてきてくれる紫蘇の力強い生命力に思いを馳せずにはいられないし、面接室のすぐ外でそんなことが起きているというのも何というか縁起がいいし、ありがたいなあ、と紫蘇に対して頭を垂れるわけです。
(田中)